<大晦日とは 2-1>
毎月30日(月末)を「晦(みそか、つごもり)」というので、1年最後の晦(12月30日)は「大晦日(おおみそか、おおつごもり)」といいます。
元旦には年神様という新年の神様が、1年の幸福をもたらすために各家庭にやってくるので、年末最後の大晦日は、年神様を寝ないで待つ日とされていました。その前にお祓いをするために、寺院では深夜零時をまたいで108回鐘をつきます。怒りや嫉妬など人間にある108の煩悩を鐘の音で絶つ為といわれています。
また大晦日には、縁起もののそばを食べて新しい年を迎える習慣があります。細くて長い形状にあやかり長寿と幸福を願う、そばの実は邪気を払う三角形なので旧年の災厄を切る、などから、そばが縁起ものとされました。
出典: キノギフト
<大晦日とは 2-2>
「大晦日」とは1年の一番最後の日を示す言葉です。
「大晦日」の「晦日」とはもともと「三十日」という「月の30番目の日」との意味でした。
もともと日本の太陰太陽暦では大晦日は12月30日、または12月29日でした。
それが現在の新暦になってからは、日付に関係なく月の最終日を「晦日」と呼ぶようになり、12月31日が大晦日と呼ばれているのです。
出典: 知らなきゃ恥ずかしい一般常識!
<一年の終わり・・・大みそか>
1 「大みそか」の意味は
十二月三十一日は大みそかです。
もともと「みそか」は「三十日」と書きます。月の三十番目の日という意味です。そこから、月の最後の日を「みそか」と呼ぶようになりました。そして、一年の最後である十二月は「大」をつけて「大みそか」となったのです。
2 年越しそばの言い伝え
年越しと言えば、すぐに思い浮かぶのが年越しそばでしょう。これにはいくつかの言いえがあります。
まずは、そばは細くて長いものですね。それと同じように、人生も長く健康で生きることができるという願いがこめられているというものです。
また、そばは切れやすいものです。一年間苦労したことをすっかりと切って、新しい年を迎えるという意味もあります。
江戸時代には、金粉を集めるためにそば粉の団子を使ったことから、年越しそばを食べると「お金がたまる」という言い伝えもあります。
いずれ年越しそばに人々は願いを込めていただいていたのです。
3 除夜の鐘はいくつ鳴らす
大みそかの夜を「除夜」と言うことは先ほど話しました。
「除夜」と言えば、「除夜の鐘」が有名ですね。十二月三十一日から元旦にかけて鳴らす鐘です。いくつ鳴らすか知っていますか。そうです。百八です。
これは「人間には百八つの煩悩(ぼんのう)がある。煩悩とは簡単に言えば「心を苦しめるもの」です。それらを打ち払うために百八の鐘をつく」という意味があります。十二月三十一日に百七回うち、新年になってから最後の一回をうつお寺が多いです。
新たな気持ちで除夜の鐘をききたいものですね。
【一言ヒント】
年越しそばも除夜の鐘について知っていても、その意味や由来は案外知らないものです。それを教えることによって大みそかの過ごし方も少し違ってきます。
出典: 子どもたちに伝えたい 日本の伝統・文化小話
<大晦日とは 2-2>
12月31日 (旧暦では晦日)
年神を寝ないで待つ晦日
昔は、毎月三十番目の日を「晦日」「つごもり」といい、年末の晦日は、大をつけて「大晦日」「大つごもり」と呼びました。
つごもりは「月隠(つきごもり)」ともいい、月が見えなくなる日を意味します。
旧暦では一日が日没から始まるので、大晦日の夜が元旦になり、「年取膳(としとりぜん)」といって、家族皆で正式な食事をしました。
また、除夜とは「旧年を除く」という意味で、大晦日の夜をさします。
かつては年神を迎えるために一晩中起きている風習があり、早く寝てしまうと白髪になるとか、しわができやすいといいました。
除夜には神社に参拝しましたが、現在、元旦未明にお参りするのは、この風習の名残です。
★年越しそば
年越しそばは、もともとは「晦日そば」といって、江戸の忙しい商家が毎月30日に食べていた。
いわれはよくわかっていないが、長く幸せに、そばからかきこむとも、金銀細工師が、金粉を集めるのに水で練ったそば粉を使ったところから、新年の金運を願ってともいわれる。
出典: ワイドバラエティー
■晦日とは
晦日とは、各月の月末のことを示します。一年の最後である12月31日を大晦日といいます。
■昔の大晦日
以前は30日までに飾りつけを終え、大晦日は神社にこもるなどして、眠らずに年神様を迎える風習がありました。
■年越しそば
年越しそばは、長く生きれる延命の縁起物です。江戸時代にはじまった風習で、大晦日のお祝いの食事としてはじまりました。
■除夜の鐘
除夜の鐘は108回突きます。この数は人間の煩悩の数とされ、新年を清い心で迎える意味があります。本来は107回を旧年中に突き、最後の一回を新年に突くものですが、現在は新年があけてから鐘をつくところが多いようです。
初詣や新年の挨拶は除夜の鐘が終わってから行うのが本来のならわしです。
出典: 冠婚葬祭.com
<一年の最後の日を「大晦日」と呼びます>
「大晦・おおつごもり」とも呼ばれますが、樋口一葉の作品のタイトルにもありました。
なんとなくですが、「おおみそか」より「おおつごもり」の方が一年の終りの感じが強いようにも感じられます。
ゆっくりとまたは忙しく「大晦日」は深けていきます。
★晦日とつごもり
「みそか」は「三十日」と書いて、月の30番目の日という意味だったようですが、転じて数には関係なく「月の最終日」を指すようになったとか。
俗に言う「晦日だから忙しい」と言うことは、「月末だから」と言う意味があります。
「つごもり」とは、「月隠」の短縮語なのだそうで、「陰暦の月が隠れて出てこない月の最終日」のことだとか。
12月の場合には、一年の最終の晦日なので、「大」を付けて特別に「おおつごもり」とよんだそうです。
なんだか難しいのですが、他にも「大晦日」の呼び方はいろいろとありました。
「大年」「年の夜」「年とり」「年越し」等々、言い方は違っても全て「大晦日」のことだそうです。
★大晦日には寝ないで待つ
歳神様を寝ないでお迎えをする日だったようです。
大切な福を持ってきてくださるのですから、お待ちするのが礼儀だったのでしょうか。
昔は「日没」が一日の境とされていましたから、なんと「大晦日の日暮れが新年」だったようなのです。
そのつながりで考えると、一日の流れは「夜から始まって朝に続く」のですから、「大晦日」は既に新年の始まりだったことになります。
「大晦日には新年を寝ないで待たずとも新年は来ていた」ことになりますよね。
それと意味は違いますが、「日没が一日の終り」ならば「日の出が一日の始まり」と言うことにも納得ができるのですが、でも一日の計算が合わなくなってしまいます…。
数え年の数え方では、納得のいく説明がありました。
12月31日の日没で「ひとつ年を取り」、家族全員で祝ったとか。
皆一緒に年をとったわけで、またそれをお祝いしたということでしょうか。
★掃き納め
大晦日には「掃き納め」という、その年最後の掃除をするそうです。
新年に掃除をすると、「歳神様が連れてきてくれた福の神」も掃き出してしまうから、と言われています。
元日には掃除道具である箒などには触ってはいけないとのこと、大晦日の内に掃き納めをしてしまいましょう。
元日はゆっくりと新年を楽しみたいのですから…。
★年の湯
新年の朝に入浴する習慣が、我が家にはあります。
年が明けて清清しい気持ちで入る「朝風呂」は、一年一回の贅沢なお風呂です。
その反対に「年の湯」と呼ばれる「一年最後のお風呂」があったそうです。
近年とは違って毎日入浴することができなかった昔は、『一年の垢を落とす』と言う意味でも、特別なお風呂だったのでしょう。
★年越し蕎麦
大晦日の日には、地域にもよるでしょうが、我が家の近くでは『蕎麦屋さんのそば売り』をお手伝いする子供達の呼び声が響きます。
蕎麦屋もこの日は書き入れ時ですが、新年を迎える準備で早めに店仕舞いをするようです。
デパートでもスーパーでも、お正月用品と共に売り出しもしていますから、12月31日は蕎麦一色の感がありますね。
「年越し蕎麦」の風習は、江戸時代中期頃から始まって続いている風習の一つです。
延命長寿の願いである「そばは細く長く生きられる」、無病息災の願いから「胃を清浄にしてくれる」と伝えられもいます。
「年越し蕎麦」は年を越える深夜に食べるのが基本かと思いましたが、昔々の考え方なら「新年は日没と共に来ている」のですから、日暮れどきに食べても良いことになります。
ただし、12月の日没はちょっと夕食には早いいかも知れませんが、「年越し蕎麦」にこだわるのなら『日暮れ時』か『深夜の除夜の鐘を待つ』か、どちらにしましょうか。
出典:年末
<除夜の鐘の由来>
除夜の鐘は、大晦日から日付けが変わる新年にかけて撞かれる鐘のことです。 除夜の鐘を撞く由来は、人の煩悩を祓うためとされています。除夜の鐘は、108回鳴らされますが、これは仏教により、人には108つの煩悩があると考えられている為です。
この108つの煩悩を祓うため、除夜の鐘を108回つくとされています。煩悩とは、悩んだり苦しんだりと、心を惑わせるものを言います。代表的な煩悩には、肉体的、精神的な欲求、怒り、執着などがあると言われています
四苦八苦するといいますが、これも(4×9+8×9=108)というように、煩悩については具体的に108つあるというよりも、沢山あると考える説もあります。
では、なぜ大晦日に鐘をついて煩悩を払うのでしょうか。大晦日に鐘をつく由来は、本来、日頃から仏教の修行を積んでいれば煩悩がなくなり、悟りを開くことができますが、除夜の鐘をつくことで、その年修行を積んでいない庶民も、1年の煩悩を祓う力があるという佛教の教えによるものであるという説です。
仏教では、お正月とお盆の年に2回、先祖を祀る風習がありました。大晦日には、鐘をついて先祖の魂を鎮めたとされています。
しかし、時代とともにお正月は年神様にその年の豊穣を祈るとされていき、もともとあった鐘をつく風習だけが残った事が、除夜の鐘の由来とも言われています。ちなみに、お寺にある鐘には突起がついていますが、この突起の数も108つあるとされています。
出典: 由来広場
<除夜の鐘の意味を教えて。なぜ108回鐘をつくの?>
除夜の鐘を撞くのは108回と一応の決まりがあります。
では、この108回にはどのような意味があると思いますか?
実は108回の意味には諸説あり、もっとも有力なのが仏教の教義において、人間には108つの煩悩がある事からその煩悩の数だけ鐘を撞き煩悩を追い払うというものです。
煩悩とは、欲望や怒り、苦しみなどの心の乱れを指します。
また、中国では古くから「108」という数字を大切にしてきました。
これに当てはめるように、一年(十二か月)、二十四節気、七十二候を全て足すと「108」となります。
候とは二十四節気をさらに初候・次候・末候に分けたもので、24×3で70となるのです。
このような事から除夜の鐘は108回撞くという説もあります。
さらに、四苦八苦が由来となっているという説もあります。
〝しく〟は4×9、“はっく”は8×9と変換して答えを足すと108になるから、というわけです。
また、108回のうち107回は大晦日のうちに撞き、残りの1回を年が明けた元旦に撞きます。
ちなみに、最初に除夜の鐘を撞くのは108回と『一応』の決まりがあると述べたのは、お寺によっては108回よりも多く撞くところもあるからです。
出典: 豆知識Press
<年越しそばの由来>
大晦日におそばを食べる風習があります。これは、年越しそばといい、現在はかなり一般化している為、そばを食べることに疑問を抱かない人もいるかもしれませが、年越しそばが定着したのは江戸時代からと言われています。
年越しそばの由来は、数多くの説がありますが、新しく来る年に良いい事があるようにと願って食べられている事は、共通した由来のようです。そばは、長く伸びていることから、長寿を願う際に用いられる事が多く、そばの形状から年越しの際の願掛けに食させるようになったとされています。
このような由来の他に、昔、金銀細工師は金粉を集める為に、そば粉を練って使用していたことから、お金に関する縁起として食べられれた事が由来という説もあります。
そば粉は、水に浴と溶け、練ったそば粉を金粉に押しつけてから水につけると、金粉だけが底に沈むので、金粉集めに使用されていました。このことから、年越しの際に、来年はお金の集まるいい年になるように、というねがいを込めて食べる事が由来とも言われています。
庶民にが年越しそばを食べる習慣が出来たのは江戸時代ですが、鎌倉時代に博多の承天寺が、年の瀬を越せない程貧しい人々に世直しそばと称して、そばを振る舞ったところ、次の年から運が向いた事が由来という説もあります。
また、そばが切れやすいことから、今年の厄災を断ち切る為に、食べられた事が由来とも言われています。いづれにしろ、そばは形状から縁起がいい事が、大晦日にそばを食べる由来になっています。
出典: 由来広場